キュートに

I feel much cuter (these days).
 WSUのDr. RD Sande (私の師匠2号) が、ウインクしながらよく周囲の人に言い放っていた。これは全く画像の話とは関係がない。「ワシは最近ますますキュートになってきよったもんじゃ」ということだと思う。当時は全然意味がわからず「何いってんだこのじいさん」程度にしか考えていなかった。でも最近になってやっと何となくわかるような気がしてきた。
 人がキュートであるということはどういうことかと考えてみれば・・・単に見た目上かわいいという意味だけではなさそうである。かわいくて周囲の人から愛されるということなのだと思う。だから、「キュートになる」とは人から愛されるような人になってきているというようなことを意味していると思う。基本的に周囲の人から愛されるとは非常に難しいことであり、自分で何も感じていない人からキュートに思われることもないわけです。まず自分が人に対する許容を広げること、多分宗教的に言うといわゆる慈悲の気持ちを周囲の人に持つことができるということが必要なのかもしれない。まあ、寛容になったということか・・・言い換えると、「ぼけオヤジのたわごと」は言い過ぎだとしても、人とってはどうでもいいことであると言える。ただ、こんなコトに時間を費やして自己改革、「怒らない」とか「許す」とかを重点的に気にして生きていくことができるようになってきているような、ある意味「あきらめの境地」とも言える状態であるのかもしれない。「いい人ぶっている」とも言えるかもね。
 こんなコトを考えていると、自分で自分のことがキュートに感じるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうである。しかし、ある意味キュートになる少しずつでも努力はしようかと思う。少なくとも、キュートになってきていると感じるぐらいになればよいのだが。

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