いやいやそれでもね

 病気は良くない。でも、先日、熱が38度を超え、関節が痛くなった。カゼか?というわけで早々に寝ることになっってしまった。先日ここで、仕事が好きだ嫌いだなんてとかなんだかんだ言って、最後に寝れば直るなんて言っていたけど・・・なんとすっきりした。一応カゼか?と思われた症状も治まり、気分一新である。でも、現実世界では仕事はいっこうに進んでいない。そりゃ寝てればね。さーてガンバろーっと。でもちゃんと睡眠はとらないとね。

ふーって感じ

Adam001
 いままでは「仕事は好きか?」と聞かれると「好きだ」と答えられた。最近では、「どうかな?」と思う。嫌いになったわけではない。ただ、生活のリズムが単調になってきたいわゆるマンネリ化と言うことなのだ。毎日症例も違えば会う人や環境も違う。「じゃあどうすれいいのよ」と言ってもこれと言って何かいい考えが頭の中に浮かぶわけではないので、また同じような日々を繰り返していくことになり、結局気分的に行き詰まるのである。毎日同じように感じてしまうのである。誰か手伝ってくれる人でも探すか?そうすれば「少しは違った自分に出会えるかも」って言っても、以前やってあまりうまくいかなかったしね。
 しかしよく考えてみると、これも老化現象なのか?少しボケてきているから、毎日やっている様々なことが同じに感じてしまうのだろうか?それはそれで対処を考えなくてはね。老化に対してはたいしたことはできないしね。ニンテンドーDSなんかをやって若返った気分になるもの嫌だしね。反復すればそりゃ誰だってうまくなるさ。でも反復すれば最後はマンネリさ。そして、ボケになるさ。(多分ボケや老化防止はマンネリ化しないことだと思うよ)
 でも今はそんなゴタクを並べているわけにも行かず。シゴート、シゴト。早く報告書まとめなくてはね。なーに今はちょっと疲れただけさ。ハハハ・・・。ってこんなこと書いていること自体ヤバイかもね。どうせ十分な睡眠がとれたらまた仕事好きになるでしょうしね。
果たしてこの犬は癒し系か?

医療情報のWeb2.0

 Web2.0と言う言葉をご存じでしょうか?これは、そういったプログラムやソフト、プロトコルがあるわけではありません。ネット上における社会の流れの方向のことであり、これに関して明確な枠や基準があるわけではない。これでは意味不明・・・。ここでいうWebとは、今あるインターネットのことであり、そこで商売したり宣伝したり、遊んだりといった営み全体のことを指している。いままでのWebがWeb1.0とでもいいましょうか、代表的なものは楽天やYahoo!なんかがそちらに分類されるかと思う。またまさに典型的というか古典的というWeb1.0には、iタウンページがある。これは広告主には有料で(かなり高額)、他のネットでは検索されず、孤立したデーターベースをもちネット上にありながら他とのつながりをなくしているということなどがその理由となる。そこからさらに進化というか変化していった形のものがWeb2.0と言うことになる。代表的なものがAmazon.comやgoogleなどである。アマゾンに関しては彼らのページに対してリンクフリーであり、他からの検索が可能であり、今後本の内容全文検索までやりたいとまでいっているような会社である。Googleは、簡単にいうと世界の情報全てを分類して検索できるようにしたいといっている会社である。情報の扱い方や検索の方法などに対する考え方が違うということではあるが、詳細は梅田さんの「ウェブ進化論」を読んでみて。
 さて何でこんなコトから始めるかというと、最近調べ物をするときにフリーのmedlineを使っている。非常に重宝している。問題はそこから先なのである。文献を調べてその文献のある雑誌のページまでいくことができる。しかし、その文献のコピーを手に入れるためには、お金がかかるのである。たかが1メガにも満たないpdfファイルをダウンロードするために30ドルとはどういったものか。中にはただのものもある。しかし獣医学関係の論文はほとんど有料であり、さらに医学系よりも高い!!いずれにしても、通常の出版で十分儲けられないのでこのようなところまでお金を取るのであるろうか。このようにお金を取るのは商業誌だけではなく、ほとんどの学会発行の雑誌の論文まで高い金を取るのである。私としては、そんなにお金を払ってまで手に入れるほど好奇心が旺盛というわけではないので、まずそこにある要旨を読んで大きな方向性の情報を手に入れ、あとは無料で手に入る文献を探してダウンロードする。多くの場合、基礎的な研究に関係していて読むのは大変だし、ちょっと自分の意図している分野から的から外れているけれども知りたいことやそれに近いことは知ることができることもある。無料で医療情報が手に入ると言うことである。これはかなりのWeb2.0な話であると考えられる。Web2.0で食っていけるかというと、食っている人はいるということ。これからは、楽天のように売っているだけではなく、商品情報やそれにまつわるライフスタイルまで提案していく必要があると考えられる。
 では、医療あるいは獣医療ではどうなのか。この分野におけるWebは大変遅れているように思える。医療情報(医師や獣医師向けの情報)と一般医療関係の情報(一般の人のための医学的な情報)の区別はどこにあるのか?あるいは本当にそのような区別が必要なのか?一般人が読んだ医学書をまとめたページは医療情報なのか?医師同士や獣医師同士、あるいは医師と獣医師のなどWeb2.0はどうだろうか。可能性は広がる。対象は一般人やペット飼い主から医療あるいは獣医療関係者まで幅広くなる。それに対して、どの様に情報提供していくのかが問題であり、頭の固い今の私では予想もできないくらいの早さでこんな問題を解決していく様な人たちが出てくると思う。そこになって初めて医療あるいは獣医療のWeb2.0は始まっていくのだと思う。
もうWeb3.0だって!!意味わかんない。

最近のサラリーマン

Bizinessman
その1.
 仕事の都合上よく朝10時頃とか午後1時頃とか、いわゆる通勤ラッシュが終わってからに電車に乗ることが多い。よく目につくのがビジネス服(含む女性、夏はcoolbiz姿など)の人の集団。出勤した後にどこかの会社を訪門するためか電車に乗っているのでしょうか、中にはカバンなども持っていない人もいる。上司と部下あるいは上中下などの位の差がある人たちの集団である。年齢は下は20歳代から上は50歳代と言ったところでしょう。とにかくこの集団が非常にキモチワルイのである。そしてとってもガラが悪い。まずトップの人たいがいその中でも年長さんである。ガラガラに席が空いた電車でなんかでも部下たちから席を譲られた上司はすわらない。部下たちはもちろんすわれない。で、その集団は、ドアのところに陣取って上司は席の端っこにあるポールに寄っかかる。そこにすわっている人のことなど気にしない。まったく。そして部下たちは仕方がないのでそれを取り囲むように立つ。ドア口を占拠して通路を通せんぼして乗り降りのじゃまである。そして上司はしゃべる。とっても大きな声で。それは自分の自慢話?、武勇伝?、仕事のノウハウ?なんかわからんけどずーっとしゃべっている。ずーっと。そして、すわらない。そして、座っている人にたいして穴をむけ、いったいどんな人の集団なの。よく電車の中で地べたに座っちゃう若い人見るけど、それは良くないと思う。けれどこの集団行為の方がもっと人も迷惑である。集団になったとき特に日本のような会社(社会)制度では、変なことになってしまうことが多い。多分この人たちも通勤しているときは普通のいい人なんだろうなっと思う。まったく誰に文句言えばいいのよ。
その2.
 最近のサラリーマン(リーマンもという?)はスーツを着てネクタイをしない。クールビズ終わっているよ!!だいたいみんなダークチャコールか黒のスーツを着ている。そして、白のブロード生地の普通カラーのシャツ。でネクタイしない。みんな一緒で、それ制服?変だよそれ。マフィアか定職のない人、夜の仕事の人、葬式帰りの人みたいである。そもそも黒のスーツを着ること自体ちょっと変である。シャツがあわせにくいじゃあないですか。そしたらどんなネクタイをするというの。別にシャツとネクタイのセンスの善し悪しを説いているわけではなく、これはそれ以下の話しでしょう。いやいや自分がおしゃれだとは思わない。だって私なんか基本的に1年中同じかっこうしているわけだからね・・・

オイ!ちょっと待てよ

Eyemri
 ポジションの問題は常々口にしてことある毎に言っているつもりである。次に良くなればとちょっとしたズレでも言うようにしている。でも最近特に感じるのは、手応えのなさ。こちらも言うだけ損みたいな感じさえする。多分相手にとっては「X線を専門とする人だからうるさいのね」と言う感触。とてもあきらめのような人をあざ笑うようなこの感触はいったい何か。X線検査をなぜするのかとか考えたことがあるのか。特に多いのが「異物が見えれば良かったので・・・」(この程度の写真でいいんですと言うことか)。いったい誰がこの検査にお金を払ってるのかね。別にいいんだけれども。せっかくの検査のいいところを見ないでね。何がしたいんかようわからん。ポジションの善し悪しぐらい自分で判断できるだろうと思う。ポジションが悪くても「専門の人ならわかるかと思って」とも言われる。大まかなことならわかる。しかし、ポジションが悪いものに関しては全て決め手に欠けるから曖昧な診断しかできない。それでもって、「その程度のことしかわからんのか」的な顔はやめてほしい。最初からポジションが良ければ私などいなくてもだいたいの部分は読影できるでしょう。そうしたら、私の仕事がなくなるなんてことはなく、そこから先にもっと良い診断より進んだ検査があるのである。ポジションの問題はX線検査だけではない、MRIもCTもポジションがちゃんとしていないことで誤診に近いものを最近見ている。ポジションを直すだけというちょっとしたことで、より良く正確な診断ができるのである。特にX線検査の場合は正確なポジションが撮影できるまで撮り直すと言うこと、何度でも、何度でも、何度でも・・・
写真は眼窩付近の造影後のMRI写真、記事の内容は関係ありません。

Bone Identities

Skull
 さきほど仕事(勉強会)から帰ってきた。仕事とはいえこんな頭蓋骨などの骨の山を約1頭分を箱に入れて深夜に持ち歩くのは気持ちのいいものではない。なんかのきっかけで警察に職務質問されたら挙動不審になりそうでできるだけ避けたいという気持ちになる。
 骨格標本を持ちましょう。特にわたしの持っているものは本当の犬(グレート・ピレニーズ)の骨格である。X線読影では骨格標本は欠かせない。特に骨関節系のフィルムの読影は骨に触りながら読むのがいちばんである。今ではいろいろなことで手に入りにくくなって来ているものの、何とかして手に入れてもらいたいと思う。自分でつくるもの方法の一つである。作り方は、ポリバケツを水でみたして、入れて・・・などなどいろいろあるものの今はそれはどうでもよく書きません。
 骨格標本の良いところはいくつかある。まず、骨の細かい変化たとえば筋肉の付着部や栄養孔の形状・位置などX線写真で出てくるわけのわからない線や増生みたいな場所をその部位の骨を触りながら実際どうなっているのかを見て触って確認できることである。よく説明で使うのが橈尺骨間の骨幹腱の付着部であり、この部位のがとても造成しているように見えることがある。また、骨を暇なときに眺めたり触っていると思いがけない骨の形に感心してしまうこともある。よく感心するのは、肘関節の骨の合わさり方である。3つの骨が確かにぴしっと合わさるのである。また、橈骨と尺骨の遠位(手根部近く)で接しているその接し方なんかもちょっと微妙で感心するところである。また、老齢動物の骨格標本だとどんな病気があったのかとか病気の変化を見ることができる。私の持っている骨格標本は、肩の離断性骨軟骨炎や股関節形成不全などがあり、頭部では歯槽骨の感染症などを見ることができる。
 そんなわけで、骨格標本を持ちましょう。でも組み立てたものでは意味がない。バラバラの状態で持っている必要がある。これは、関節の内部構造などを見ることができるのがポイントである。その他に実際に骨をあわせてみて関節の動きの再現などもがんばればできるはず。左右の骨の違いを並べてみることができる。など、バラバラの状態の方がよいことがいっぱいある。
 では、明晩も骨を片手にウイスキーを・・・